大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和30年(レ)24号 判決

控訴人 石川ゆき 外三名

被控訴人 浜田種次郎

主文

原判決を取り消す。

控訴人四名の被相続人石川増蔵と被控訴人との間の大阪簡易裁判所昭和二七年(ユ)第三六四号家屋明渡調停事件の調停調書について、昭和二八年七月八日執行文を付与せられた正本に基く強制執行は、これを許さない。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人は本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張は、控訴人の方で、

(一)  原判決二枚目表面三行目に「二千二十円」とあるのは、「二千二十五円」の誤記であるから訂正する。原判決二枚目裏面四行目中「以降」は誤記であるから、これを削る。

(二)  石川増蔵は昭和二九年一〇月一二日死亡し、控訴人ゆきはその妻として、控訴人章、同俊一、同愛子はその子として増蔵を相続した。

(三)  本件調停は石川増蔵が被控訴人に対し家屋の修繕を要求し紛争を生じた結果、一ケ月一、二九〇円の賃料が協定せられたものであつて、双方ともに当分の間この賃料額は変更なく継続されるものと考えていた。およそ賃料に関し調停がなされるについて、統制額の変動に伴いその都度増減をする場合とそうでない場合とがある。従つて調停において将来賃料統制額の変更があつたときはこれに従う旨の約定がなされた場合は、調停調書にその旨の条項が記載されるのが通例である。本件調停ではそのような約定がなされなかつたから、本件調停調書にはそのような記載がないのである。

(四)  被控訴人は、本件調書に記載された一、二九〇円の賃料は、昭和二五年八月一五日改定された統制賃料額に準拠したと主張するけれども、本件調停は昭和二七年一〇月一日になされたものであり、昭和二六年九月二五日には既に賃料統制額が改定されているから、右一、二九〇円の賃料は調停成立当時の統制賃料額に準拠したものではない。

(五)  仮に被控訴人主張のように本件調停において賃料統制額の変更があつたときはこれに従う旨の約定がなされたものとしても、調停調書も債務名義である以上、調停条項の内容はあくまで調書の記載に従い客観的に判断されるべきものであつて、債務名義となるべき調停調書に「統制賃料額が改定されたときはその額による。」旨の記載がない限り、その増額分について債務名義の効力を有するものでない。

(六)  仮に本件調停調書が増額分について債務名義となることができるものとしても、何時からいくらに増額されたか、その増額の時期と金額は、調停調書自体で明かでないから、民訴法五一八条二項の規定により、債権者がこれを証明しなければならない。ところが本件において被控訴人は賃料増額の時期、金額を証明書をもつて証していないのに執行文を付与したのは、形式的要件を欠くものである。

(七)  被控訴人は、石川増蔵は、増額された賃料は別としても、調停調書に記載された一ケ月一、二九〇円の賃料さえ昭和二七年一二月以降支払つておらず、調停条項第四項の家賃金を二ケ月分以上延怠したときにあたると主張するけれども、被控訴人は昭和二七年一二月末日いつものように控訴人方に賃料の集金に来て突然「賃料は今月分から一ケ月一、二九〇円が二、〇二五円になつた。」旨を告げてこの増額賃料を請求した。増蔵は、「調停成立後僅か二ケ月後のことであるから、従来どおりの賃料にして支払わせてほしい。」と申して従来の賃料を提供したところ、被控訴人は、「従来の賃料ならば受け取らない。」とその受領を拒んだのである。このように増蔵が昭和二八年一月分以降の賃料従来の額によつて被控訴人に提供したとしても被控訴人がこれを受け取らないことが明白である場合は、たとえ増蔵が現実に被控訴人に提供しなかつたとしても、調停条項四項にいう家賃金を延怠したときにあたるものということはできない。

(八)  仮に控訴人の右主張が法律上理由がないものとしても、増蔵が昭和九年頃本件家屋を賃借して以来長い年月を経過しており、被控訴人から強制執行の予告を受けると早速被控訴人主張どおりの増額賃料を供託して今日に至つておるものであるから、本件強制執行を許すことは信義則上不当である。

と述べ、

控訴人の方で、

(一)  原判決四枚目表面終りから三行目中「昭和二八年」とあるのは、「昭和二七年」の誤記であるから訂正する。

(二)  石川増蔵が控訴人主張の日に死亡し、控訴人四名が控訴人主張のとおり相続したことは認める。

(三)  増蔵は昭和二五年八月一五日改定された賃料月額一、二九〇円を同月分から支払わずその延滞額は三五、五六〇円に達したので、被控訴人は増蔵を相手方として大阪簡易裁判所に家屋明渡の調停を申し立てた。その結果被控訴人は明渡の要求を取り止め、引き続き賃貸することとし、増蔵は今後も統制額による賃料を支払うことを承諾し、増蔵が延滞した統制額による賃料から家屋の修繕費を差引したものである。本件調停調書には賃料一ケ月一、二九〇円と記載するだけで、これが統制賃料額であることを示す記載は存しないが、増蔵は調停成立までの延滞分も、調停成立後の将来の分も統制額によることを承諾した結果、調停が成立したものであつて、右金額は統制賃料額を示すものに外ならない。本件調停において今後の賃料を統制額によらず、他の基準によるような話合は、全然なされなかつた。賃料統制額は変更されたときは家主の税負担の加重を伴う実情にあるから、賃料統制額の変動があつたときはこれに従うことが双方の意思であつた。

元来地代家賃統制令の適用を受ける家屋をこれまで統制賃料額で賃貸し、今後も引き続き統制賃料額で賃貸する場合は、将来統制額が改定され賃貸人がこれによつて請求すると、当然統制額が賃料となるものであるから、賃料統制額の変更があつたときはこれに従う旨の約定がなされた場合、調停調書にその旨の記載がなされないのが調停裁判所における取扱の実例であり、本件調停調書もそのとおり取り扱われたものである。

(四)  本件調停調書に記載された賃料額は昭和二五年八月一五日物価庁告示第四七七号に従つて算出されたものであつて、昭和二六年九月二五日物価庁告示第一八〇号によると、統制額は一、二二八円となつて従前の統制額より低額となるので、右告示の規定により従前の統制額に従つたものである。

(五)  本件調停調書調停条項第四項にいう「家賃金」は、昭和二七年九月以降本件家屋使用の対価として増蔵の支払うことを要する賃料を意味するものであつて、賃料額を月額一、二九〇円に限定し、固定したものでなく、賃貸借存続中その効力を保有し、統制額が変更せられたときは、その統制賃料がこの「家賃金」にあたるのである。このように、この「家賃金」は将来改定された統制賃料額を含むことは、調書自体明白であつて、この他に「統制賃料額が改定されたときはその額による。」旨の記載があることを要するものではない。

(六)  本件調停条項第四項に定めた「増蔵が家賃金を二ケ月以上延怠したとき」というような債務者の不履行延怠は、たとえ賃料統制額に変更があつた場合でも、民訴法五一八条二項に規定する条件ではないから、債権者である被控訴人が証明書をもつてこれを証することを要するものではない。

(七)  仮に本件調停調書が増額された賃料については債務名義の効力を有しないものとしても、被控訴人は昭和二七年一二月増蔵に対し統制賃料額が改定されたことを通知するとともに、賃料を持参することを求めたが、被控訴人は増蔵から同月分の賃料を提供せられたことなく、その受領拒絶したようなことはない。増蔵は調停調書に記載された一ケ月一、二九〇円の賃料さえ昭和二七年一二月から昭和二八年六月まで支払わなかつたから、本件調停条項第四項の家賃金を二ケ月分以上延怠した場合にあたるのである。

と述べた外、いずれも原判決事実記載のとおりであるから、これを引用する。

証拠〈省略〉

理由

石川増蔵と被控訴人との間に昭和二七年一〇月一日大阪簡易裁判所同年(ユ)第三六四号家屋明渡調停事件について調停が成立したこと、その調停調書の調停条項第四項に「増蔵が昭和二七年九月以降家賃金を二ケ月分以上延怠したときは増蔵は被控訴人に対し本件家屋を明け渡すこと」という主旨の記載があること、被控訴人が増蔵が昭和二七年一二月分から昭和二八年六月分までの賃料の支払を怠つたものとして昭和二八年七月八日右調停調書に執行文の付与を受け、同月二七日その執行に着手したこと、増蔵は昭和二九年一〇月一二日死亡し、控訴人ゆきはその妻として、控訴人章、同俊一、同愛子はその子として増蔵を相続したことは、当事者間に争がない。

被控訴人は、本件調停において将来賃料統制額の変更があつたときはこれに従う旨の約定がなされたものであつて、右調停条項第四項の「家賃金」は将来改定された統制賃料額を含むことは、調書自体明白であり、この他に改定された額による旨の記載を必要とするものでないと主張するから、考えよう。

調停調書は、裁判上の和解と同様確定判決と同一の効力を有するものであつて、その内容が私法上の給付義務の存在を認めている場合には、強制執行によつてその内容を実現できるものである。しかも執行機関は、実体上の請求権の存否の調査に煩わされることなく、債務名義のみによつて、迅速完全に執行することが、要求される。従つて債務名義となるべき調停の内容は、調書の記載に従い客観的に判断されるべきものであつて、たとえ調停に際し当事者間に成立した合意があつても、その合意が明確に調書に表示されていない限り、これに執行力を認めることは相当でない。元来地代家賃統制令の適用を受ける家屋について統制賃料額が改定された場合においても、私法上の契約に基く賃料額は当然これに伴つて変更される効力を生ずるものでなく、賃貸人が賃借人に対し統制額の変更による賃料増額の意思表示をし、その額が相当であるため増額の効果を発生するか、あるいは賃貸人と賃借人との間に将来統制額の変更があるときは賃料増額の意思表示をまたないで当事者間の賃料額と定める旨の特約があるのでなければ、賃料額の変更は生じないものである。であるから、仮に本件調停において将来賃料統制額の変更があつたときはこれに従う旨の合意が成立したものとしても、成立に争のない乙第一号証調停調書によれば、右調停条項第四項の「家賃金」は将来改定された統制賃料額を含むことを明確に表示したものということはできないから、これに執行力を認めることはできない。

従つて右調停条項第四項の「家賃金」が昭和二七年一二月、月額二、〇二五円に改定されたことについての執行力あることを前提とする被控訴人の主張は総て採用しない。

次に、被控訴人は、昭和二七年一二月以降一ケ月一、二九〇円の賃料さえ支払つていないから、右調停条項第四項の家賃金を二ケ月分以上延怠したときにあたると主張するけれども、成立に争のない甲第一号証、原審証人石川ゆきの証言(第一、二回)、原審における原告石川増蔵本人尋問の結果、当審における控訴人右石川ゆき本人尋問の結果、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果を総合すると、被控訴人は昭和二七年一二月末日頃石川増蔵方を訪れ「同月分から賃料月額二、〇二五円に値上になつたからこれを持参支払うよう。」に申し入れたところ、増蔵の方では「調停成立後間もないことであるから、値上は困る。値上り分は昭和二八年一月に支払うから、せめて従前の額の分だけ支払いたい。」と申したが、被控訴人は「値上り分もともに持参するよう」。申して、増蔵が昭和二七年一二月分の従前の額による賃料を提供したにかかわらず、被控訴人はその受領を拒んだ。増蔵はその後の賃料について従前の額の賃料を提供しても受領を拒まれることが明白であつたから、これを提供せず、昭和二八年八月一〇日に至つて昭和二七年一二月分から昭和二八年七月分までを供託した事実を認めることができ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

本件賃料債務が被控訴人方に持参すべき約定であつたとしても、たまたまその弁済期に被控訴人が増蔵方に賃料値上通知のため来宅したので賃料を提供したところ、それが従前の額であつたため受領を拒んだものであつて、これ以外に被控訴人が約定の場所でないその場所で受領することにより不利益を受けるような特別の事情は認められないから、被控訴人は正当の事由がなくして昭和二七年一二月分の受領を拒んだものといわなければならない。

右のような事情の下においては、たとえ増蔵が被控訴人に対し昭和二八年一月以降の分の賃料を従前の額で提供したとしても、その受領を拒まれたであろうことは明かであるから、増蔵がこれを支払わなかつたことをもつてその責に帰すべき事由があるものということはできず、右調停条項第四項の家賃金二ケ月分以上延怠したときにあたらないものといわなければならない。

従つて被控訴人の右主張も理由がない。

そうすると、増蔵に右調停条項第四項に定めた延怠があるものとして本件調停調書に執行文を付与したのは違法であつて、その執行正本に基く強制執行は許されない。

従つて控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべきものであつて、これと同旨でない原判決は取消を免れないから、民訴法三八六条八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 熊野啓五郎 中島孝信 芦沢正則)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例